今を生きる

スペインはバレンシアからきままに 日記を書いていきます。 今を常に念頭におき、 見性を体験することを大目標にします。

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少林窟道場参禅記(参禅4日目)6

                    11月17日(水曜日)

4日目に入りました。中盤に入って、だらけてしまわないようにと自分に

何度も初心の気持ちを奮い立たせておりました。昨日から、後片付けとい

う作務を与えられて、体を動かすことが大好きな自分としては、正直とて

も助かりました。もっと他にもいろいろやらしていただきたい気持ちで一

杯でしたが、新参者だからでしゃばってはいけない、下手に気を回しをし

てはいけない、老師から指示がでたらやればいいと控えておりました。

(このことがあとで誤解を生むことになろうとは、、、、、)


とはいえ、やはり3日間とはいえ、少林窟道場でやってこれたという自信

が、気づかぬうちに奢りへと変わって、そこから油断が生じてしまったよ

うです、、、、。


今朝もいつものように一人禅堂での一日が始まりました。

一人坐禅にも慣れてきましたが、一緒に坐禅する人がいればもっと励みに

なるのになんて思っておりました。するとそこに何と老師が入ってこられ

ました。老師は私と反対側で背中合わせに坐られました。老師とご一緒

に禅堂で坐禅をするなんてこんな機会はまたとないからとワクワクしまし

た。が、意外にも落ち着いている自分もいました。


老師の坐るお姿は、威風堂々としてそしてたおやかで山にたとえるなら雪

化粧をした富士山のようでした。一息は、大変静かで常に一定で耳に心地

よいものでした。そして老師の経行のお姿は、そのものが一つの舞のよう

にも映りました。

「禅って何と美しいんだろう!」

能や歌舞伎をよく知りませんが、禅文化があるとすれば坐禅そのものが

芸術美に思えました。

禅の醍醐味を堪能させていただきました。




その日のお昼は、またあの少林窟道場オリジナルのつけうどんでした。

毎日食べても飽きないと思わせてくれる私の大好物です。

嬉しくてズズッといい音も出るようになってきました。


その時です。鋭い老師のチェックが入りました。

「麺を噛みながら箸をつつかない」厳しい一言でした。

油断大敵とはこのことです。食事禅の基本を怠っていました。



また、食べて満足してお腹が一杯になってきていた頃でした。

老師が不意に、

お鍋のうどんをお箸で持ち上げながら、

「どうしてこのうどんは黒いのですか?」と聞いてきました。

頭の中で、「うどんが黒くても白くてもどっちでもいい、黒といったら

黒、白といったら白だ。」とぶつぶつ言っています。

「でもどういうふうに答えたらいいんだ?」

「どうしたらいいんだ?」


「はい、このうどんは黒いです。」

私の口から出た言葉でした。



老師は、苦みばしった固い表情をされました。

老師のそのような苦い表情を初めて見ました。

途端に項垂れる自分もいました。

「老師の期待を裏切ってしまった。」


しかし、老師は私を叱るどころか、疲れがでたんだろうと同情してくださ

いました。後にも先にもこの時の老師からの同情ほど嬉しかったことはあ

りませんでした。


そして、坐禅の疲れを取るためにも少し、作務禅をして体を動かしたほう

がいいと今日は、さらに禅堂のお掃除をするようおっしゃってくださいま

した。ちょうど私も禅堂の汚れが気になっていたときでした。老師からは

「効率性を忘れて、掃くなら掃くにまかせ、拭くなら拭くにまかせるん

だ」と言われました。


時間を考えることなく、効率性を考えることなく、禅堂を掃除し始めまし

た。お天気も良く、上山してきたときに比べて気温も上がってきてもおり

ました。


窓を開け、少し埃を落とし、畳と床に掃除機をかけて雑巾がけをしまし

た。最後は、しょうそう様を拭いてお線香をあげました。お掃除が終わる

ときれいなった禅堂と同じように私の気持ちもとても爽やかになりまし

た。掃除をして気持ちが良くなることはありますが、今日ほどこんなにす

がすがしい気持ちになったことはありませんでした。


作務禅、動中を工夫するというのはこのことかとしっかり確認できまし

た。「これなら家に帰ってもできる!」

特別なことをすることもない。普段の生活の一こま一こまに成り切って、

ただそこにいればいい。「これだ!」何だか確信が持てました。


お掃除の後は、秀蓮さんがお風呂を沸かしてくださいました。しかし、薪

をくべてのお風呂炊きにはコツと経験が必要です。老師は、「あなたがお

風呂を沸かせるといいんだが、、、、」とおっしゃいました。


でも、以前にどなたかにお風呂を沸かしてもらって、とんでもなく熱かっ

たらしく、「わしを茹でダコにするつもりか?」と痛い目にあったことを

思い出されて、、私には”難”と思われたようでした。


薪で焚いたお湯は体の芯を暖めてくれました。少林窟に来てから初めてで

久々に入った薪風呂の気持ちよかったこと。そして、残す3日に更なるエ

ネルギーが湧きでてきました。


掃除してピカピカになった禅堂で、お風呂に入ってきれいになった身で、

袴の帯を締めなおしての坐禅は、それはすがすがしいものでした。


2時間近くの午後の坐禅。短くはありましたが、一息、一捻りになりきる

という老師のおっしゃることが何とはなしに分かりかけてきている気がし

てきました。


木版のかん高い音が響きわたりました。

夕暮れ時のこの音は、また一段と風情があります。


食堂に行くと、ちゃぶ台にお鍋の用意がしてありました。

そしてビールが用意されてありました。

私は、きょとんとした顔で坐りました。

老師はおっしゃいました。

「この4日間良く頑張りました。

あなたのその頑張りに今晩は慰労会をします。」


私は、お酒が大好きです。おいしいものとお酒を飲むのが好きです。

ましてや、禅の祖師方を前に、お鍋とビールときたらこんな最高の場面は

ないでしょう。

ビールを乾杯していただきました。

ビールが喉越しを通って私の体内におちていきました。

何もかもすっかり忘れて”今”を堪能していました。



老師から次のように法話をしていただきました。
                    
                       ”一つを守り通す”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

気力を落とすとやる気がなくなる。そうすると知性ではやらないといけな

いとわかっていても体がついてこない。気がのらないから。そうするとい

たずらな坐禅になってしまう。全身一息だけをしていればばいい。

他には絶対に何もしてはいけない。手段を考えるとか、手際よさを何かな

いかとか、その癖が、そういう心の計らいごとが、不平不満をつくりだし

てしまう。気になるから人を批判したりする。そういう心の垢とか癖と

か、ばらばらゆえになんとはなしに、他のことを持ち出してしまう。やる

ことだけ一つ。問題がおきない。成功しても失敗しても関係なく安心して

やれる。安心ということは二心がない。一つだけ。

”徹底できるまで一つを守りとおせばいい。”


理屈は簡単でしょう?気力がないと自分の好きなもの、怠惰のほうに、魅

力の強いほうにぱっといってしまう。

これを”ぼんじょうにおちる”という。迷いであり苦しの種である。

今一つことをただやっていけばいい。


それは心があっち飛び、こっち飛びして感情をひっかきまわしたりしない

から、自ずから平安になり、その分だけ、自信力になり、安定するから、

傲慢な自信ではない。何も持たない軽さ。

何が起こっても大丈夫という構えでなく縁に任せるんです。


今かなり一息だけができるでしょ?

もちろんひょいひょい出てくる時で、油断のならない時なのですが、それ

を無視して一息、終わる。腰を捻って一息。終わる。繰り返す。


道中の工夫に昨日から入っているけど外を掃除したり禅堂を掃除したりし

て気持ちよくできたというのはやっていることを見ずにただやることだけ

になっていたから。

これを身を忘れるという。

そうすると

何をするという”何”がなくなる。

さらさらというひっかかりがないから楽しい。

これをずっとやっていればいい


「さらさらと滞らぬが仏なりよきもあしきも凝るが鬼なり」

凝るというのは拘るということ。世の中は、道理、理屈でかたずけようと

するものです。

まずいいとか悪いとか、効率が良い、悪いとかそこには貪欲姓が入ってい

る。いいとか悪いとか決めずに誠意をもってことをすすめる。

ただやる論ぜずに行ずる。そしたら結果が出る。


論ずることに時を費やしすぎるから問題がおきる

理屈をいうこだわるやつ、是非をいうやつ。ようするに煩悩を持ち出すこ

の癖をとるわけだから。だからただやる。理屈を云うくせ、煩悩をとる。

勉強するのに文句はいらない。

掃除をするのに是非はいらない。

仕事をするのに道理はいらない

なすべきことをただやる。

今はなすべきことは吸うて吐くこと。呼吸をすること

このなすべきことを淡々とやっていればいい。

自己がなくなる、こちらがなくなるとそ何にでもできるようになる。

いつでも今だから!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



ずっと憧れていました。日本に帰って、おいしいお鍋をつつきながら

好きな酒をいただきながら、好きな仲間と一緒に語り合えるのを。


私のささやかな夢ではありましたが、実際には、敬愛すべく祖師方から直

接に、法話を聞きながらの一杯とは、私ごときの想像力ではまるで思いつ

くこともできませんでした。

”ご縁のままにあるがままに”

ただ感謝するばかりでした。



                       ....続く

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プロフィール

valenciana

Author:valenciana
スペインはバレンシアに
住んでいます。

インターネットのお陰で
禅の世界に導かれました。

「縁と無常」

あるがまま
ただ生かされていることに感謝する毎日です!


”幼少の頃は夢中で遊んでいました”
いつしかそれがかすんできました。

またあの頃の
感覚を思い出すことが多くなりました。

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